今日、推しが引退する。

 

 

 

 

今日、推しが引退する。10年応援した人だった。

 

はじめに


 NACSオタクとして生きる前から、野球オタクとして界隈に生息していました。毎日プロ野球速報を見て一喜一憂してたまーに球場に足を運ぶ、どこにでもいる野球オタクです。リーグ優勝も日本一も最下位も、球団の浮き沈みにもブレずに一人の人を応援し続けていました。

 推しは、その球団でもプロ野球界でも「ベテラン」と呼ばれる人です。この10年で「ベテランと呼ばれる人になった」という方が正しいかもしれない。プロ野球選手の平均引退年齢ってご存じですか? 29歳です。高卒で入団しても10年、大学社会人枠だともっと少ない。つまり、応援できる時間が圧倒的に少ないんですよね。そんな中で推しは23年もプロ野球選手でいてくれました。もうこれだけで、全世界に誇っていいんじゃないかなと思う(モンペ)ただ、当然ながら引退するときは誰しもきます。正直、まだ来ないと思ってた。プレーも素人目にはまだまだ出来ると感じてしまう。それでも推しは引退します。
推し方についてのアレやコレ。色々と感じたことを書きました。推しのいる誰かに刺さってくれたら。

 

1.私たちは応援「させていただいてる」

 プロ野球は年間で140試合ほど。4月頃に始まり10月頃には全ての試合が終わります。多いように思うけどね、10月から翌年4月までは基本的に露出がないです。オフだから。推しの姿を見ることが出来るのって、年間最大140日なんです。この「最大」ってなんだよってね。俳優さんなら140試合ってレギュラー番組みたいなもんなわけですよ、公式な推しの供給場所という意味では。最も違うのは、野球は推しが出ない試合があるということ。レギュラー番組で誰かが出ないとかって基本ないじゃないですか。おにぎりは洋ちゃんとシゲちゃんとマミちゃんがいるでしょ。ハナタレはNACSみんながいるでしょ。1試合出ないなんてざらで2軍になんていたら2ヶ月とか平気で見られない。チームの状況とかにもよるけどね。オタクとしては気が狂いそうなわけです笑。
 でも選手もオタクもそこで腐ってなんかいられない。代打でも守備固めでも、下手したら出場1分とか有り得るけど、そこに全身全霊を懸けるしかないんです。推しがその打席に真剣に向き合ってるから、オタクとして真剣に応援する。例えものすごく少ない出場機会でも、その1打席のために死ぬほど努力してるんです。朝から晩までノック受けたりバッティング練習したり。

 人間の寿命って、今では80年とかあるけど野球選手としての寿命って先述通りすごく短いわけです。私の推しはヘッドスライディングとかどんどんします。40過ぎのおじさんだけど。その度に「命削ってるなぁ」と思っちゃう。少ない砂時計の砂をどんどん自分から減らしてる。その零れ落ちる砂の一欠片を私たちは綺麗だと勝手に評して好きになるんです。私たちオタクは推しの人生の断片を見せて頂いています。ただ、彼らの人生に名前のついた登場人物としては私たちは存在しません。役名にするなら「ファンA」とかです。当然です。断片を見せて頂いている身ですから。グラウンドと内野応援席の距離以上のものを私たちは求めたらいけないんです。良いプレーがあれば声を出して拍手して、調子が悪いときは静かに見守る。適正距離が大事。

 でも、俳優だと距離感って難しいですよね。推してみて分かった。出演作品は公式からちゃんと発表されるし、オフとか日常の写真もどんどんあげてくれるし。そこには、その先に自分の作品を見てもらいたいという宣伝的な意味合いがあっても有り難い供給には変わらないじゃないですか。特にNACSさん、というかCUEさんは距離感迷子が過ぎる(ちゃっかり享受している身ではあるけど)。ドラマやCMやSNSの発信で、何となく自分の日常に推しが溶け込んでる状態。
 ただ、もちろん役者の推しにも野球選手とは違う努力が必要なのは間違いない。キラキラした世界だから余計に泥臭い努力とか見せないし報道しないだけで。忘れてはいけないのは彼らは文字通り命を削っているし、その人生の断片を見せていただいている。そして勝手に好きになって勝手に応援している。彼らの人生の「ファンA」という役割を勝手に担って、その仕事を応援させていただいているんです。

 

2.別に私が推さなくても推しは生きていける

 推しにとって、私個人がファンである必要性は皆無です。私がいなければきっと誰かがファンになって、推しは変わらぬ活躍をするでしょう。だって私が行っていない試合でも推しはヒットを打つし、私が行っていないイベントでも推しは活躍してる。私に推しという存在は必要不可欠だけど、推しにとってはそうじゃない。重すぎる私の一方通行な思いです。たまに「私たちが押し上げた」みたいな事を言う人もいますよね。まぁ間違いではないと思うんですが、押し上げた要因の第一は推しの努力ですし。ファンの応援は必要だったかもしれないけど、あなたの応援がなくてもきっと大成したでしょうし。応援させていただいている身で、応援以上の何かするのは御法度に近い何かでしょう。

 だからといって手を抜けって訳じゃないです。私でなくてもいい、とは言ったけど一翼を担う以上ハンパなことはできねぇ!みたいな笑。私でなくてもいいけど、私が思い付く限りのことは全力でやりたい。できうる限りの応援をしないことはきっと後悔するでしょう。あの試合、あの打席、あの守備機会。なんでもっと声を出して応援しなかったのか、なんでもっと目を凝らして見なかったのか、そもそも試合をみなかったのか。後悔をあげたら、きっと一晩じゃ足りない。
 イベントや舞台もあるじゃないですか、今回は見送ろうかなって時。それがお金や時間や、もっと大切な何かの理由があるならそれは後から考えても納得できます。そうではなくて。何となく、当たる気しないし、会ったら満足して冷めそう、とかが理由の時。きっとそれで見送った機会は、もう手が届かなくなった頃に死ぬほど後悔する。申し込まなきゃ当たらないし、1回会っただけで満足出来ないほどあなたの推しは魅力に溢れてる(断言)。難しいことは考えずに、応募があるでけでも数という事実は残ってそれが応援に繋がるのなら。ほら、エントリーボタンを押すんだ!!!(迫真) 推しにとっての私はファンという 1/不特定多数ですけど、私にとっての推しは唯一無二の存在ですからね。驕らずに、手を抜かずに。

 

3.全力で推せ

 タイトル通りです笑。
 正直、引退するって思ってませんでした。完全なる慢心。観戦は月に1回ぐらいいくかなー?ってレベルのゆるファンだったので今は後悔しかないです。もっと行けた試合もあったし、もっと声を出して応援することもできた。きっと140試合を全部見ても、彼のデビューから推してても、引退の時がきたら「もっと応援すればよかった」って言うと思います。でも、後悔を少しでも減らす事ってできただろうなーっと。

 役者の場合は少し話が違いますね。野球選手の応援って明確に「声を大きく出して応援していいですよ」っていう試合の場があるんですよ。役者の場合それがすごく少ない。舞台とかで思いっきり拍手するとか、試写の登場とかで歓声をあげるとか。CUEの場合は2年に1回のアレがありますけど笑。とにかく思い付くものはこれぐらいです。この明確に声を出して応援が許される場所の少なさって堪えるものがありますよね。自分が好きなものを公式に応援できない歯がゆさというか。文字通り、声を大にして応援したい!みたいなね。

 ちなみにこれは「私個人が推しに応援していることを認識されたい」って話ではないんです。むしろ認識されたくない笑。推しに認識されるほど恐ろしいことはない!と思ってしまうタイプの人間です。視界に入るのはギリギリの範囲なので近い席が取れたら小躍りするんですが笑。 私が思っているのは「たくさんの人に応援されている推しが見たい」という事ですね。
自分の好きな人はこんなにたくさんの人に応援される人である。故に推しは素晴らしい人である。推しの活動はこうやって実を結んでいる
たいていこういうことを感じて涙するオタクです(きもちわるいね)。だからジャンボリーは毎回OPで必ず泣くんですけど(きもちわるいね)。たくさんの人に応援されている推しは全宇宙で1番に輝いているので、その瞬間に立ち会いたい、という気持ちなんだと思います。そのためには限られた場所で、できる範囲の最大限で応援することが必要不可欠であると考えます。役者なら雑誌やDVDを買ったり、テレビを見たり、多種多様な応援の仕方がありますからね。認識云々ではなくて、推し方の問題。

 そういう時に発生するのはお金を落としてる問題。私的には、全力と金銭的にたくさんつぎ込む事は1つの形だけど、イコールではないと思います。推しが中心で世界が回ればいいけど、そんなことなんて無理だから。そんなことは石油を掘り当ててから考えたらいいんですよきっと。私も持ってないグッズや見てない作品とか、割とあるし。出来ないときは出来ない。出来るときは出来る。その時の最大限を放出しようぜって話ですから。
全力で、後悔のないように推しましょう。引退したら、応援させていただける場所はないから。

 


おわりに

 偉そうにたくさん語りましたね笑。でもこれを読んで、自分の推しにも引退の可能性はいつでもあるんだという事を心に留めておいてもらえれば。そして悔いなく推しを応援しようと思ってもらえたら。

推しは、荒木雅博選手は私の中で最高の野球選手でした。今日はこれからナゴヤドームに、最後の応援に行ってきます。

 

                       今日、推しが引退する。おわり